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zoom RSS 三人目のわたし ティナ・セスキス著 ハヤカワ文庫:第三の人生をつかめ

<<   作成日時 : 2017/03/21 12:59   >>

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CLAUDIO BAGLIONI NIPPON/クラウディオ・バリオーニ・ニッポン
記事執筆:Letterina

人生の重圧から逃れたいと人が思う時、どういう行動を起こすだろう?
引っ越して住居と環境を変える?
離婚して人間関係を清算する?
それとも、全く別の人間になり変って新しい人生を始める?

主人公のエミリーは家族と申し分ない住環境と弁護士の肩書を捨て、
旅行かばんを抱え、誰ひとり知り合いがいないロンドンにたどり着く。
ネットで探した、ひどく手入れの悪いシェアハウスの一室をかろうじて
見つけ出し、そこでキャットと名乗り彼女の第二の人生が始まる。
とは言え、決して輝かしいスタートではない。
過去に起きた大きな出来事、“あの日”がつねに彼女の身に
まとわりつき、エミリーを悲しみのどん底へ繰り返し突き落とそうとする。

“あの日”の出来事はさておいて、エミリーには出生時から厄介な
問題を抱えている。(両親の夫婦仲にも言及すると、誕生前から)
キャロラインだ。
彼女はエミリーの一卵性双生児の妹にあたる。
善良で穏やかなエミリーとは違い、悪意と言う名の自我に支配された、
およそ社会的に受け入れやすい人物とはいえない、始末の悪い
性格の持ち主である。
そしてキャロラインは、自分の存在が世界から拒否されていることを
身を持って知っている。
だから自分と同じ姿かたちの姉に対して、できる限りの悪事を働き、
聡明で人から愛されるエミリーを陥れようと陰湿な嫌がらせを繰り返す。

家族のもめごとは、人生のあらゆる問題の中で最も厄介だ。
両親ときょうだいと離れて、結婚して自分の家族を築いても、問題は
常に付きまとって来る。
エミリーはキャサリン・エミリー・コールマンの人生をリセットすべく、
出奔という、究極の行動で我が身を守ったのである。
(いや、究極という言葉は当てはまらない。自死で人生を
終わらせる方法だってあるのだから)

ともあれキャットとなった元エミリーは、新しい人生を導いてくれる女性、
エンジェルに出会い、シェアハウスで仕入れた情報で派遣の職を見つけ、
努力と幸運と人脈によって、あれよあれよと広告代理店の花形社員となって、
第二の人生を構築していく。

あまりにも出来すぎなストーリーであるのは否めない。
おそらく世の中の既婚女性には「わたしがこんな人生を送るのは
何かの間違いだ。
わたしには何か、やるべきことがあったはずだ」と天を仰いで、
ベビーカーを押したり、独立した子供たちのかつての部屋の掃除をして、
空虚な想いを抱いたりした時に、全く違った人生を夢見る瞬間があるのだろう。

サスペンスに分類される小説かもしれないが、わたしは「変身願望を抱く
女性のためのファンタジー」にカテゴライズするべきだと思う。
(そんなカテゴリーは無いにしても)
決してリアリティーのある物語ではない。
イギリスでも日本でも、エミリーのような真似をして社会生活を送ることは
まず不可能だろう。(年金手帳とか、マイナンバーとか、身分を偽って
一般企業に勤務するのは無理だ。日雇いか、夜の商売なら
可能性はありそうだが)

あとがきで、作者に夫と二人の子供がいることが書かれている。
つまりこの小説は、彼女自身の価値観で結末が締めくくられているのだ。
みんなパートナーを見つけて幸せになる。

フローベルの「ボヴァリー夫人」のエンマは幸福だが平凡な人生に飽き足らず
毒をあおって命を絶ったが、この作品は自己の再生を(現実味に
欠けてはいても)必死に探り、エミリー、キャットに次ぐ第三の
人生を手に入れた勝利者の物語だ。
この小説の読後、人生にエールを送られたと感じる読者は
どのくらいいるだろう?

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