claudio baglioni バイオグラフィー ② |

1970年代

最初のシングル盤Una favola bluと、Signora Liaをリリース。
Una favola blu(作詞グイード・デルコレとアルベルト・モリーナ、
作曲ピエロ・メルファ)は、夏季レコード大賞にノミネートされる。
Festivalbar新人部門にはSignora Liaで出場。
同年、ファーストアルバムClaudio Baglioniを発表。
間もなくアルバム共同制作者および共同作曲者となる
プロデューサー兼ピアニストのアントーニオ・コッジョと出会う。
ヴェネツィアで行われたフェスティバルGondola d`oroに
Notte di Nataleで参加するが、極端な悲嘆と、反カトリック的な
歌詞が観客の不評を買う。

1971年4月、ローマのエレクトリック・メッセで、将来の妻となる
映像専門学校を修学し終えたばかりのパオラ・マッサーリ
(1955年3月3日ローマ出身)と出会う。
9月にポーランドで開催される国際音楽フェスティバルに、
批評家賞受賞で招かれる。
同年、10日間のポーランドツアーを行う。
ミア・マルティーニに作曲したアルバムOltre la collinaが
リリースされる。

1972年、フランコ・ゼフィレッリ監督作品Fratello sole, sorella luna
(ブラザーサン、シスタームーン)の映画用挿入曲を3曲制作。
リタ・パヴォーネにフランス語のアルバムBonjour la Franceを制作、
発売後にフランスのヒットチャートにランクインする。
同年9月、イタリア初のコンセプトアルバムとなる3枚目のレコード、
Questo piccolo grande amoreを発表。当時の検閲制度により
LP盤の歌詞を一部変更。
この曲に関して、ミュージシャンのリッキー・ジャンコが「自作の曲を
盗作された」とバリオーニを提訴、法廷闘争に発展。
作曲家エンニオ・モリコーネはバリオーニ側を支持。
同年、歌手ナーダにChissa` se mi pensiとMe so` magnata er fegato
の2曲を提供するが、実際に彼女のアルバムMalanimaに収録されたのは
22年後の1994年になった。

1973年8月4日、パオラと結婚。直後にGira che ti rigira amore bello
を発表。前作同様好調な売れ行きを記録する。
既婚者となったことで女性ファンが離れ、セールスに影響することを
恐れたRCAは、バリオーニの結婚をしばらくの間公式に発表しなかった。

1974年、大ヒットアルバムとなるE tu...を発表。
南米でも好セールスを記録。
アレンジャーにギリシャ人ミュージシャンのヴァンゲリス(映画、炎のランナー
でアカデミー作曲賞を受賞)を起用、シングルカットされた彼の斬新な
アルバムタイトル曲のアレンジは、聴衆に大きなインパクトを与えた。

1975年から1978年にかけて続けてアルバムをリリース。
1975年アレンジャーにルイス・ヴァカロフを迎えたSabato pomeriggio、
1977年、RCA最後のアルバムとなったSolo、1978年CBS最初のLPとなる
E tu come stai?を発表。
同年、ヨーロッパ、南米、北米、カナダで大規模なツアーを開催、成果として
100万枚のアルバムセールスを達成する。

関係資料
http://it.wikipedia.org/wiki/Claudio_Baglioni

画像


記事執筆:Letterina
CLAUDIO BAGLIONI NIPPON/クラウディオ・バリオーニ・ニッポン