claudio baglioni バイオグラフィー ③ |

1980年代

3年間の沈黙の後、1981年Strada facendoをリリース。
ミリオンセラーアルバムとなる。アルバムタイトル曲は
Vota la voceで年間最優秀曲賞を受賞、レコード批評家
協会からは年間最優秀歌手に選ばれた。

1982年5月19日、長男ジョヴァンニ誕生。
ロンドンのポール・マッカートニー所有のスタジオで、
息子に捧げる曲Avraiを2日間で制作、6月9日、
3曲収録のLP盤として発売。
同年の夏、スタジアムツアーAle`-oo`をスタート。
観客動員数は100万人を超える。同名のライブアルバムも
リリース。ローマのシエナ広場のコンサートでは来場者数
12万人を記録。
この公演の模様はRaiイタリア国営放送で録画放送された。

1984年、ヴェローナの円形劇場のコンサートでは大雨にも関わらず、
2万人の熱狂的なファンがつめかけた。

1985年1月、ピッポ・バウド司会、Raiのテレビ音楽番組
FantasticoでQuesto piccolo grande amoreが20世紀を代表する
ポピュラーソングに選ばれる。
同年、La via e` adesso を発表。150万枚を売り上げ、18ヶ月チャートインした。
同年初の公式バイオグラフィーNotti di noteを出版。
ツアー観客動員数は100万人を超え、この年のベストアーティストに選ばれる。

1986年、ライブアルバムAssoloを発表。

1988年9月8日、トリノでアムネスティ・インターナショナル主催の
Human Rights Now Tourが開催。海外からはピーター・ガブリエル、
スティング、ユッスー・ンドゥール、ブルース・スプリングスティーン、
トレイシー・チャップマンが参加。
国内アーティストは、当初ヴァスコ・ロッシが予定されていたが、主催者側が
バリオーニに主演を急遽変更。
コンサート当日、演奏中のバリオーニのステージには飲料水のビンや野菜が
投げ込まれ、ブーイングの嵐となった。
この時期にはパオラとの夫婦関係も悪化、公の場に姿を現さなくなる。

1989年、パオラと別居。
同年10月、次回作となるOltreの販売予約受付が始まる。

関係資料
http://it.wikipedia.org/wiki/Claudio_Baglioni

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記事執筆:Letterina
CLAUDIO BAGLIONI NIPPON/クラウディオ・バリオーニ・ニッポン