P分署捜査班 集結 マウリツィオ・デ・ジョバンニ著 創元推理文庫:ピッツォファルコーネの愚連隊



“女の闘いが始まるのなら、一歩も
引くものか”

本書が面白かったどうかを第三者に
尋ねられたら、「可もなく、不可もな
く」と答えることにする。

同じイタリア物であるサンドローネ・
ダツィエーリの“パードレシリーズ
3作品”のような大仕掛けの設定は
ないし、アントニオ・マンジーニの
“汚れた雪”のように、際だってア
クの強い個性的な主人公がいるわけ
でもない。
物語の主軸である殺人事件の顛末も、
特別な展開があるわけでもなし、し
かも事件解決の突破口が、登場人物
のひとりが発した無駄口というのも
なんだか拍子抜けするばかりで、あ
れ、これで1作目は終わりかとお預
けを食った犬のような気分だ。

とはいえ、帯の“21世紀の87分署
シリーズ”という惹句は上手い具合
に作用するだろう。
本作の読みどころは犯人探しよりも
むしろ、ナポリのピッツォファルコ
ーネ署という吹きだまりに流されて
きた、脛に傷のある警察官達の人物
像そのものだ。
すでに2作目の刊行が決定している
とのことなので、彼ら登場人物の先
行きは追いかけてみたい。
恐らく、ロヤコーノ警部を中心とし
た女性達による恋のさや当てがヒー
トアップしそうな予感であるが、個
人的にはスピード狂のアラゴーナ一
等巡査がどう大化けするのか注目し
ている。
こういう若輩者で、愚かさを強調さ
れているピエロ役が、有能なベテラ
ンと一緒に仕事をすることで人間的
にどのように成長するのか、そんな
視点で読み進めていくと面白そうだ。

ところで、本書の中にいくつか引っ
かかる部分があったので、重箱の隅
つつきになるが、書き出しておこう。
まず、10ページ3行目の“I Corpi
Freddi”。
「イ・コルピ・フレッディ冷徹なる罪」
という単語が、注釈もなくイタリア
語のまま出てくる。
ネットで検索してみると複数冠詞抜
きのCorpi freddiでヒットした。
どうやら1997年刊行の「De’ja` De
ad」というアメリカの推理小説のイ
タリア語版のタイトルらしい。
この小説、2001年に角川文庫から
「既死感」という邦訳で出版されて
いる。
作者はキャスリーン・レイクス。
ちなみに2004年に講談社から「骨
と歌う女」が刊行された時は作家名
は“キャシー・ライクス”となって
いる。
全くの素人推理だが、作者のデ・ジョ
バンニはアメリカ人女流作家の作品
に感銘を受けて本書の謝辞に小説の
タイトルをあげたのではないかと思
われる。

そして登場人物名の表記について。
本書ではAmedeo、Espositoが「アメ
ーデオ、エスポジート」と書かれてい
るが、これはイタリア系アメリカ人の
名前のアクセントだ。
イタリア本土では「アメデーオ、エス
ポージト」と発音する。
たいしたことではないかもしれないが、
少なくともインテルファンは「違う!
エスポジートじゃない、エスポージト
だ!!」と、地団太を踏むだろう。
Ottaviaがオッターヴィアではなく、
オッタヴィアなのも気にならないわけ
ではないが、アクセント位置の間違い
があるよりはいい。
342ページの「ドゥオモ通り」という
のも気にかかる。
Duomoドゥオーモという言葉は一般
的に浸透しているかと思っていたの
であるが。
だが一番の違和感は、デ・ジョバンニ
という作者名の表記だ。
なぜDe Giovanniがデ・ジョヴァンニ
ではないのか?
日本人には発音しづらいから、という
ことなのか?
これは出版社側の都合なのだろうか?
先に挙げた米国人作家Kathy Reichs
が、邦訳で名前が二つになってしまい
混乱を招いてしまう例もある。

文句でこのレビューを締めるのも気が
引ける。
そうだ、監禁美少女のヌンツィアは
ティツィアーノ・フェッロのファンだ。
アップテンポのダンス曲もいいが、せっ
かくだからこの駄文を最後まで我慢し
て読んでくれたあなた方にフェッロの
名バラードを献上しよう。
タイトルは「Il regalo piu` grande一番
大きな贈り物」である。

記事執筆:Letterina

====追記====
なんてこった、Raiの映像を見て初めて
気がついた!
主人公Lojaconoの発音はロヤコーノでは
なく、“ロヤーコノ”である!



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