Claudio Baglioni クラウディオ・バリーオニ:Sorrisi e Canzoni インタビュー和訳①

クラウディオのインタビュー記事
全文の和訳です。
記事翻訳:Letterina

クラウディオ・バリオーニが素晴らしい
アルバムと共に帰って来た
14曲分の人生と、愛した全てのもの

“In questa storia che e` la mia”は、音楽版
の自叙伝だと本誌に語った。
有名人だったのはポーランドでだけ、と
話してくれた。

インタビュアー:Stefania Zizzari

7年間分のレコーディングだったと、ニュ
ーアルバムについて語った。
そして遂にアルバムリリースにたどり着
いた。
クラウディオ・バリオーニは14曲の新曲
で構成された楽曲による自伝について説
明を始めた。

==クラウディオ、ファンは随分と長く
待たされました。

そうだね、アルバム発表の時期がどんど
ん延長してしまったんだ。
言葉少なの言い訳もあれば、言いたい事
が沢山ある場合もある。
またある時は、可能な限り最良の方法で
物事を伝えようとするしね。

==まず最初から始めましょう。
つまり、出だしの部分から、ということ
ですけれど。
ごく短い歌が他の全ての楽曲をつなげて
います。
“Uomo di varie eta` (異なる世代の男)”で
すが、“マンマに付き添われて歌のオー
ディションに、レコーディングの結果は
ダメばかり”とあります。この歌詞の、
人生での最初のダメ出しとは?

1967年にローマのティブルティーナ通り
のRCAで、初めてのオーディション録
音をしたんだ。
ものすごく大きな建物でね。入り口には
制服姿の守衛がいて、グランドピアノを
搬入するためにエレベーターはとても広
かったよ。
科学者みたいな白衣をはおった録音技術
者を思い出すね。
わたしはまだ16歳前で、心臓が口から飛
び出さんばかりだった。
“Signora Lia”を歌って、技術者から氏名を
聞かれて、「後でお知らせします」って
言われたんだ。これが最初のダメだったね。
RCAはわたしの所属するレコード会社に
なると思ったし、今もってそう思っている
けれどね。一目惚れってわけじゃないけれ
ど、まあ、さすがに50年以上というのは・・・(笑)

==他にも上手くいかなかった事は?

もちろんあるよ!1968年に再挑戦したんだ。
別のオーディションで、これは決定的だったな。
テスト録音担当者の責任者が、サインペンで
レコード盤に“こいつは使い物にならない”って
書き込んだ。早い話が、そういう見解だった
わけだ。

==でも、めげませんでしたよね。

正直なところ、ちょっとへこんだけれどね。
あの分厚くて大きな眼鏡(訳注:デビュー当
時にかけていた黒いフレームの近視用眼鏡)
が他の世界とわたしを隔てていたんだ。
極度の恥ずかしがり屋で、内気な性格のまま
処世術を身につけようとしていた。それでも
諦めなかったのは、この仕事以外に自分にで
きることはないと、信念を持っていたからだ
よ。

==打ちひしがれるようなことは?

1970年にヴェネチアの国際音楽祭の新人部門
に“Notte di Natale”で出場したんだ。審査員の
一人がヴェネチア港に係留している艦艇の海
兵隊員だった。
夜に「銀のゴンドラ賞」受賞のための投票が
行われる予定でね。
日中リハーサルをやって、最後に音楽祭の担
当者が「わたしは気に入りましたよ」って言
葉をかけてくれたんだ。ものすごく期待したよ。

==で、結果は?

16位。最下位だった。

==どんな気持ちでした?

強烈な憂鬱感に何度も打ちのめされた。雨の
中、リド島を独りで歩きながら、「これは僕
が進む道じゃない」って濁った水面を眺めた。
まるで無駄な努力を延々と繰り返しているよ
うだった。大昔の話しだけれど。
(続く)

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