Claudio Baglioni クラウディオ・バリオーニ:Sorrisi e Canzoniインタビュー和訳②

(続き)

==そしてやっとOKが出るわけで
すね。

いや、まだだよ。3カ月後、バーリの
ペトルッツェッリ劇場のコンクールに
出た。そこではステージの上に椅子が
ひとつ置かれていて、参加者は座って
歌うんだ。
その間、他の出場者達はマイクの前に
一列に並んで待っている。

==上手く行きましたか?

とんでもない。最下位だったんだ。
3カ月の間に2度のびりっけつだよ。
めったにあることじゃないだろう?(笑)

==まったくですね。

それで五里霧中を何とか解消するため
に、ポーランドで開催されたインター
ナショナル・フェスティバルに出場す
るチャンスを得たんだ。“E ci sei tu”を
歌って優勝だよ。オリジナリティを懸
命に詰め込んだ「Claudio Baglioni」と
いうタイトルのファーストアルバムの
中の曲で、それから全てが変わり始めた。
4ヶ月間ポーランドとチェコスロバキア
でツアーをやって、知名度が上がった
んだ。かなりの金額のギャラを手にし
て、女性達と知り合って・・・。
夢は叶ったけれど、イタリアじゃない。
素晴らしきロックンロールの世界さ。
鉄のカーテンの向こう側だったから、
どのみちお金は現地でしか通用しないし
滞在最後の夜に300人を招いて夕食を
ご馳走したんだ。ローマに戻って全てが
終わり、本腰を入れて食い扶持を稼ぐこ
とにしたよ。
(訳注:旧共産圏の東欧諸国では、現地
通貨の国外持ち出しが厳しく制限されて
いた。西側諸国に持ち出した東欧圏の通
貨は為替レートが定まっておらず、一般
の両替商では換金ができなかった)

==本物の転換期はいつでした?

すぐやって来た。“Questo piccolo grande
amore”の手直しを始めたけれど、それま
で気にもかけていなかった。まあ、確信し
ていたよ、どうせヒットはしないだろうと。
「誰もわたしの事は理解しなかった」って、
遺言状の決まり文句だよ。

==ところがどっこい。

しばらくしてアルバムがセールスチャート
の1位にランクインした。
思い出すよ。通りを歩いて、家々の窓を眺
めて、「もしかしたらこの窓ガラスの向こ
うでは僕の事を知っている人がいて、ラジ
オから流れてくる僕の歌を聴いているかも
しれない」って考えていた。
とにかく不思議な感覚だったね。これが決
定的な最初の“イエス”になったよ。

==“Uomo di varie eta`”では嘆きと後悔が
歌われます。なぜでしょう?

例えば後悔については、ポップオペラとし
ては一度も曲を書いた事がないんだ。
あともう一歩でということは何度かあった
けれど、でも実際に歌にした事はない。
多分、一番最後になってやるんじゃないかな。

==後悔というのは?

自分のヒット曲を大幅に変えてしまうこと
について、時折極度の不安を感じてしまう
のさ。現代風のアレンジを試してみたいと
いう欲求はあるのにね。
一度、パレルモでのAssoloのコンサートの
時、Questo piccolo grande amoreをアコー
スティックバージョンで、かなり風変わり
に演奏したんだ。
ハーモニーや、一部主旋律を変えてみたり
して。
コンサート終了時に、一人の女性が強烈な
言葉でわたしをなじった。
「あなたにはあの歌をいじくり回す権利は
ない。なぜならあれはもうあなたの歌じゃ
なくて、わたしたち全員の歌だから!」
あわやののしり合いの大ゲンカだよ。
「あの曲を書いたのはこの僕で、どう歌お
うが僕の勝手だろう!?」
よくよく考えてみれば彼女は間違っていな
かったと思う。歌っていうのは個人のイメー
ジを呼び起こすものだからね。記憶と結び
ついていて、時代をまるで写真のように思
い出す。度を越した編曲は歌に対する暴力
行為なんだ。

==クラウディオ、どのような“バリオーニ
作曲メソッド”で6千万枚ものレコードセー
ルスを打ち立てるのでしょう?

正式な方法はないけれど、わたしにとって
作曲は習慣なんだ。物事に対する感覚が鋭
くなる夜のほうが仕事がやりやすいね。
よくノートに言葉を書き散らして、引き出
しに突っ込んでいる。

==ペンで、紙に書いているんですか?

(続く)

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