claudio baglioni バイオグラフィー ④ |

1990年代

1990年11月4日午前3時頃、雨天のローマ市内をポルシェで走行中、
カルミッチャ通りのフェンディ家の邸宅の壁にハンドル操作を
誤り激突、腕、顔面、舌を負傷。
同年11月15日、民放のテレビ番組「マウリツィオ・コスタンツォ・ショー」
に出演、復帰を果たす。
同年11月16日、2枚組アルバムOltreをリリース。
パコ・デ・ルシア、ピーノ・ダニエレ、ミア・マルティーニ、ユッスー・ンドゥール、
ディディエ・ロックウッド等、内外のミュージシャンと共演。

1991年、ローマのスタジオ・フラミニオで2日間のコンサートを開催。
初日7月3日の模様はテレビで生中継された。
このライブはOltre una bellissima notteのタイトルで、ビデオと
レーザーディスクで発売された。
同年10月29日、アルバムプロモーションのため初来日。
東京と京都に滞在。
11月、エピックソニーからバリオーニ初の国内盤となる「日本版Oltre」
(2枚組オリジナル盤を1枚に編集)が発売。

1992年、ツアーOltre in concertoを開始。
同年7月ライブアルバムAssieme、9月にAncorassiemeを発表。
アルバムAssiemeは同年日本でも発売された。

1994年8月31日、第7回国際水泳ローマ大会開会式で大会テーマ曲
Acqua nell`acquaを披露。

1995年、バリオーニのキャリアの中でも成熟したアルバムと評される
Io sono quiをリリース。
歌詞の内容は前作Oltreよりも理解しやすく直接的な表現となり、曲の
つなぎに短いピアノの弾き語りが挿入されるという、短編映画を彷彿とさせる
楽曲構成になった。
同年、アルバムタイトルコンサートが、幼少の頃より慣れ親しんだ土地である
ウンブリア州カステッルーチョ・ディ・ノルチャの標高1,500メートルの高地で
行われた。
この年、公式ファンクラブClaBが発足。

1996年10月27日、FAO世界食料農業機関のWorld food day concertが
ローマのコロッセオ前で開催。海外アーティストと共に参加。
同年、バチカンで開催され、多数の歌手が参加した法王ヨハネ・パウロ2世の
御前クリスマスコンサートでトリノ管弦楽団と共演、Avraiを歌う。

1997年1月24日、夜9時からRai2で放送される70年代風バラエティー番組
Anima miaにレギュラー出演開始。司会はRaiのアナウンサー、
ファビオ・ファツィオ。
同年5月15日には番組関連アルバムAnime in giocoが発売。

1998年4月22日、パラグアイとのサッカー親善試合で、ワールドカップ
フランス大会のためのFIGCイタリアサッカー連盟公式ソング
Da me a teを発表。
同年ローマ、パレルモ、ナポリでスタジアムツアーが行われ、観客36万人
を動員。

1999月10月30日、Viaggiatore sulla coda del tempoをリリース。
ツアーでは革新的な舞台技術と伝統を結びつけ、多数のイベントで
常に大きな成功を収めた。
同年11月5日、Rai2のバラエティー音楽番組L`ultimo valzer放送開始。
司会はファビオ・ファツィオ。
この年の大晦日の夜、バチカンのサンピエトロ寺院広場で、きたるべき
21世紀を祝うコンサートNotte del Millennioに参加。
コンサートの間、法王の部屋の窓は開かれており、在室を示す垂れ幕が
飾られていた。

関係資料
http://it.wikipedia.org/wiki/Claudio_Baglioni

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記事執筆:Letterina
CLAUDIO BAGLIONI NIPPON/クラウディオ・バリオーニ・ニッポン